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2020年12月04日 ゲスト・林立夫(SKYE、元キャラメル・ママ~ティン・パン・アレー他)~前編


【放送内容】

「昌和・Mamiの名曲アワー」放送開始以来、番組で幾度となく出て来た名前がある。

林立夫。

日本の名ドラマーのひとりであり、70年代から現在にかけて数多くのミュージシャンと共に日本のポピュラー音楽を育て拡張させてきた音楽家である。


番組ナビゲーター・東郷昌和との縁は、林さん高校2年、昌和さん高校1年の頃に遡る。中学の同級生・小原礼とのバンド《ムーヴァーズ》に鈴木茂が加わり、《SKYE(スカイ)》名義で活動していた頃。

「僕と(高橋)幸宏が観に行ったのは、青山学院の学園祭。細野(晴臣)さんに言われて観にいったのよ」(東郷昌和)

「あれ?俺マサカズとユキヒロと最初に会ったのは、どこかの大学主催のパーティーじゃなかったかなぁ」(林立夫)

「それもあったけど、その前に学園祭に観にいったの。あとアメリカンスクールとかのパーティーバンドをみんなやっていたじゃない?そこでも会っているよね、いっぱい」(東郷昌和)

当時細野晴臣が松本隆らと《ザ・バーンズ》というパーティーバンドを組み活動していた折、軽井沢のパーティーで東郷昌和・高橋幸宏他のバンド《ブッダーズ・ナルスィースィー》と共演。「君たち上手いよねぇ」と声をかけてきた。生意気な口調で「あ、はぃ」と素っ気なく返すマサカズ君に細野氏は「君たちと同じように、自分たちがNo.1だと思っている子たちがいるから紹介するよ」

……これが、前述の学園祭での出会いのイントロだった。

「マセてたよねぇ」と林さんは笑って振り返る。マセた高校生のバンドはパーティーバンドでありながら、ダンスパーティーで踊れない曲ばかり演奏する。SKYEが当時好んで演奏していたのは《キンクス》や、フランク・ザッパ率いる《ザ・マザーズ・オブ・インヴェンション》など。

「それで主催者が文句(踊れない、etc.)言って来たりするじゃん。『わかってねぇんだよなぁ』って。高校生だから(笑)」(東郷昌和)

「イヤなガキだねぇ、ホントにもう(笑)」(林立夫)




丁度その頃、マイク・ブルームフィールド、アル・クーパー、スティーヴン・スティルスがアルバム「スーパーセッション」を発表。海を渡った日本でも、パーティーバンドの少年たちがその影響を受け、「俺たちもセッションやろうぜ!」と集まり出す。その流れから《エイプリル・フール》などプロのバンドが誕生、GSブームと入れ替わるように日本のロックの歴史に新たに彩り始めることになる。

そして番組内で登場したのが、この樹形図。



「当時みんなアマチュアなのよ。小生意気なガキのアマチュア(笑)。それが二十歳になるくらいにみんなプロになって。それがいまだにみんなプレイヤーとして活動している。これは素晴らしいよね」(東郷昌和)


キャラメル・ママ~ティン・パン・アレー、フォージョーハーフ他で活躍していた林さんが、10年ほどドラムを離れていた時期がある。その後1996年に松任谷由実の「Yumi Arai The Concert with Old Friends」のステージで林さんは活動再開する。

そのコンサートの折、東郷さんのところに松任谷正隆氏から連絡が入る。「昔のメンバーのままで今回のコンサートをやろうというのが主旨なんだけど……ハヤシってドラム叩いてないんだって?」

あれだけのセンスでやっていたんだから、大丈夫じゃないの?と東郷さんは返す。とりあえず初日、聴いてみる…と一旦話は終わる。そして松任谷氏から再び連絡。

「マサカズ、大丈夫だった。ハヤシはハヤシだった!」

林さん自身はそのやり取りはご存知なかったそうだが、憶えているのは

「リハーサルの初日、ドラムセットに座って叩き始めた時に、両手両足が『アンタ、誰の手で誰の足なの?』くらいバラバラで……」(林立夫)



【エピソード】

「荒井由実コンサート」でドラマー復帰した時、林さんには小学生の息子がいた。ドラムを叩く父親の姿など全く知らなかった彼は、いきなり<超満員のユーミンのコンサートでドラムを叩く父>を見ることとなり、かなりのカルチャーショックを受けたとのこと。

その御子息・林一樹さんも現在はプロドラマー。2015年の「アルファ・ミュージック・ライブ」にも、父・林立夫とともに出演した。



【使用楽曲】

♪CHOPPERS BOOGIE(ティン・パン・アレー)

♪あの日に帰りたい(荒井由実・ライブ)










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